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高野台今昔

       


1947年頃は石神井川の流れも大きく蛇行し田畑の用水路として使われていました。鎌倉時代から昭和20年代頃までは農業が中心だった高野台も戦後の高度成長とともに宅地化が進み現在に至ります。
拡大地図と写真は図をクリックしてください。
練馬高野台の歴史                                2010.5.28現在
大化の改新後 645年、頃律令制に伴い、練馬は、武蔵国豊島郡に属す。
鎌倉時代  土豪、横山氏が村長をを務める。
鎌倉時代後期
 
豊島氏が石神井城を築城。保戸塚氏、横山氏は石神井城と連絡を取る狼煙をあげる烽火場を受け持つ。
鎌倉時代後期   石神井の渡邊氏、田中の鴨下氏、谷原の横山氏が豊島氏の一党に加わる。
応安5年 1372 豊島氏が道場寺を創建。
応永元年 1394 豊島氏が三宝寺を創建。
天正2年 1574 北条氏秀が三宝寺内で殺生、竹木伐採、狼藉を禁じる。
天正18年 1590 家康の指図を受け長谷川重国(増島氏)が谷原村の代官になる。
  1596 増島左内村民と議り氷川神社を勧請す。
慶長18年 1613 長命寺、僧の慶算(後北条氏の一族である増島重明)が弘法大師像を安置した。
寛永16年

1639

元横山砦(金山郭)の本丸跡に氷川社と再建
。二の丸のあたる金山(横山)稲荷も合祀して谷原村の鎮守となる。
寛永17年

1640

東の高野山完成。奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得る。
万治1年 1658 長命寺火災で全焼す。
寛文7年 1667 長名寺観音堂再建。
文化6年 1801 谷原村の戸数110戸
文政6年 1823 文政6年の古文書「地誌調写置」に谷原村の特産として、「大根、蕪」の記載
江戸時代末期  石神井地域で蚕業や清酒、醤油等の生産が始まる
明治5年 1873 谷原村の人口647人。石神井地域が清酒、醤油等の生産が東京府の首位となる。
明治7年 1874 制定院にて当地に区内初の公立小学校として豊島小学校が開校(現在の石神井小学校)。
明治11年

1878

郡区町村編成法により、練馬の大部分は北豊島郡に編入し高野台周辺は北豊島郡石神井村大字谷原となる。
明治11年

1878

石神井東小学校の前身、長命寺の境内に仮校舎谷原村と田中村の名をとった「谷田(こくでん)小学校」開校。
明治12年 1879 三宝寺と道場寺の中間に東京府初の民間製糸工場「興就社」開設
明治17年 1884 谷田小学校、現在の順天堂大学医学部附属練馬病院の場所に校舎を新築して移転。
明治20年 1887 高野台には弁天池と云う大きな池があり、弁財天の社殿を造営。
明治21年 1888 石神井城趾の主郭で酪農が始まる。
明治22年 1889 石神井村となる
明治35年 1902 谷田小学校、「石神井東尋常小学校」と校名を変更。
大正3年 1914 武蔵野鉄道(現西武池袋線)開通、石神井駅開設。(渡邊氏が駅敷地数千坪を寄附する。)
   田中の鴨下氏。米穀商の横山氏が武蔵野鉄道の創始者に名を連ねる。
大正12年 1923 関東大震災後、都心部から練馬の人口流入が始まる。
昭和5年 1930 石神井村の人口は9839人
昭和7年 1932 東京市は35区制となり、練馬は板橋区に編入され、町名変更「石神井谷原町」となる。
昭和18年 1943 日本陸軍成増飛行場完成(光が丘)
昭和20年代  石神井川や三宝寺池にホタルが生息していたが昭和20年代に環境の変化で消滅。
昭和20年 1945 終戦 成増飛行場の飛行機を米軍が焼却。
昭和22年 1947 石神井東尋常小学校、石神井東小学校と校名変更。同敷地内に石神井東中学校併設。
昭和22年 1947 4月石神井東中学校の前身東京都板橋区立石神井東中学校として設立認可、開校。
昭和22年 1947 8月1日に練馬区、独立板橋区から分離独立、23番目の特別区として誕生。
昭和22年 1947 練馬区は農地が7割を占め、人口は11万人余りでした。
昭和22年

1947

米軍家族宿舎グランドハイツ着工(第18代大統領グラント将軍の名を命名。Grant Heights)
昭和22年 1947 8月練馬区の独立に伴い板橋区立石神井東中学校より練馬区立石神井東中学校と校名変更
昭和23年 1948 米軍家族宿舎グランドハイツ完成
昭和31年 1956 長命寺が、東高野山奥の院都指定史跡になる
昭和31年 1956 4月 石神井東小学校と校舎交換、移転 谷原小学校8教室同居
昭和34年 1959 谷原町に球形ガスタンク建設
昭和34年 1959 都立石神井公園 開設
昭和34年 1959 谷原氷川神社、この地より出征された方々の慰霊の為にこの地域の有志の
方々が慰霊碑建立。
昭和39年 1964 須田練馬区区長が都知事にグランドハイツ返還請求
昭和40年 1965 町名変更「高野台」となる。
昭和46年 1971 区のシンボルとなる花と木を区民から公募、花はツツジ・木はコブシを選定。
昭和48年 1973 グランドハイツ 国へ返還
昭和49年 1974 グランドハイツ跡地 都市計画決定
昭和51年 1976 高野台運動場開設
昭和52年 1977 石神井東中学校、練馬区高野台1-8に新校舎建築起工
昭和55年 1980 総合教育センター開設
昭和58年 1983 有楽町線 小竹向原ー平和台間乗り入れ
昭和62年 1987 西武池袋線 富士見台ー石神井公園間高架化 完成
昭和63年 1988 第1回 照姫祭り 開催
平成元年 1989 光が丘消防署 開設
平成1年 1990 光が丘警察署 開設
平成3年 1991 都営12号線 光が丘ー練馬間 開通
平成3年 1991 高野台、谷原地域で古くから伝わる餅つき唄と麦ボウチ唄が無形文化財に指定。
平成6年 1994 光が丘体育館開設
平成6年 1994 練馬高野台駅開設(鎌倉時代から高野台を守ってきた横山家の子孫が協力して新駅開設。)
平成10年 1998 元練馬区議会会員の増島忠之助氏が練馬高野台長命寺考を刊行。
平成10年


1998


通称箕輪築真ミノワ
チクシン弁財天(市杵島神社)新社殿の新築、
境内整備を行う。
平成13年 2001 大江戸線開通・練馬高野台ー新宿まで30分
平成14年 2002 5月谷原出張所が練馬高野台駅高架下に移転
平成14年 2002 8月練馬区誕生55周年
平成15年 2003 高野台、谷原地域で明治時代頃から伝わる谷原囃子が無形文化財に指定。
平成15年 2003 4月練馬駅北口、大泉学園南口広場完成
平成17年 2005 7月順天堂練馬病院開院、練馬高野台いきいき歩道橋完成
平成20年 2008 6月副都心線開業に伴い、練馬高野台発渋谷行きが開通。
平成22年 2010 石神井公園ふるさと文化館開設
平成22年 2010 高野台の人口、6352世帯、13612名
参考文献
ねりまの文化財
練馬高野台長命寺考
練馬区区報他
石神井東小学校ホームページ
石神井東中学校ホームページ

 

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